財布の紐を緩めなければならない

「使ったお金 < 価値」となる全ての消費行動は「投資」であると個人的に思っているのだが、この「<」の判断は難しいものだ。

難しいが故か、あるいは性格に依るものかは分からないが、私はこの判断に労力をかける傾向があり、それが新しいものを買わないことに繋がっている節がある。

事例1

例えば、最近iPad Proを購入した。これは個人的に投資だと思っているのだが、購入検討にあたり下記のようなことを入念に調べたり、考えたりした。

  1. 自分はそれを何に使うのか。
  2. その用途を満たせる競合製品は無いか。
  3. 競合製品との差は何か。
  4. どこで買ったら一番安いのか。

結論として、他のタブレットよりも割高なiPad Proを購入するのは「投資」であるという判断を下したのだが、こう言ったことを調べたり考えたりしていると一瞬で時間が過ぎ去っていく。そして(楽しいけど)疲れる。

そういう感じで、お金を使う際にはその大小に関わらず熟慮する癖があるのだ。

(ちなみに事例2は無い。)

堅実な一人稟議とその弊害

一人稟議がしっかりしていると、大半の買い物は「不要」あるいは「もっと安くていいものがある」という理由により却下される。

また前述した通り一人稟議のプロセスは疲れるので、余裕がある時にしか実施しにくい。

そのため自ずと出費は抑えられ、出費すればそれは「投資」になりやすいというメリットがあるものの、実は弊害もある。

停滞する

世に出る新しいものが真っ先に我が家に来ることはなく、世間の流行から疎くなったり、各種業界の最新動向が入って来にくい。アイデアの種が失われたり、自室に何となく停滞感が漂ったりもする。

一般的な消費者でなくなる

普通の人ならこれくらいお金を出すよね、という感覚と、自分の金銭感覚にズレが生じる。その結果、本当は売れるものに対して「売れない」という判断を下すなど、商品開発の場において適切な判断ができなくなる。

ケチ臭いと見られる

この性質は良く言えば買い物上手、悪く言えばケチ臭いものであり、悪い方に捉える人が一定数は存在してしまう。仕方のないことだけれども。

財布の紐を緩めよう

フリーランスという収入が一定では無い生き方をしているため、この性質はありがたいものであり、別段直す必要もないと思っていたのだが、少し分からなくなってきた。

たまには財布の紐を緩めて気の向くままにお買い物をする、そういったことが私には必要なのかもしれない。

そう思い立ってお買い物を実践して来たのだが、それはまたの機会に書くことにする。

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