パワーが足りない

先日、THE R.O.Xのリハーサルをこなした後にリーダーに叱られた。

「お前のドラム、リズムキープは完璧だけど、パワーが足りない」

「貴様、他人にダメ出しをする前にチューニングが出来るようになれ」と心の中で毒づきながらも、まあ彼の言うことは的を得ている。思い当たる節はある。

最近のバンド活動とパワーに関する考察

例えば、THE R.O.X活動開始前に参加していた某バンドは、ジャズ寄りの美しい曲を歌いあげるバンドであり、そこでは「パワー」という概念はさほど必要無かった。

このバンドで求められるのは全体の調和。そして歌を引き立てること。あとは愛。

愛?まあそれはとりあえず置いておこう。

このバンドに於いても大音量が求められるシーンは存在するが、力任せに太鼓を叩くことは求められない。力を入れることよりも、むしろ力を抜いて太鼓を叩き、革、胴、バチに至るまでの楽器全体が鳴ることの方が求められる。質の良い音さえ出せればきちんと音は通り、それは「大音量」として認識される。

そしてこの「大音量」は、当然の事ながらパンク・ロックにおいて求められる大音量とは性質が異なる。

パワーは出せるのか

このような経緯もあり、どうやら音「量」よりも音「質」を重視した演奏が体に染み付いていたらしい。「パンクやんだからボカスカ叩こうぜ」とは考えていた筈なのだが、癖になってしまったものは考えた程度では抜けない。

「そもそも、その細っこい体でボカスカ叩けんの?」と疑問をお持ちの方も多いことだろう。その点については過去の実績があるのでご安心頂きたい。高校~大学時代にはビックバンドジャズを嗜んでおり、そこでは金管木管楽器15本程度のフォルテッシモに負けないレベルの音量を出していたものだ。さらに、ビックバンドジャズとは名ばかりのハードロックやらに分類される様な、よりパワーが求められる音楽も演奏していた気がする。

問題は、これらの演奏もご無沙汰していることだ。さらなる問題は、若かりし頃の勢いが今も同様に備わっているかと言うと、当然そんなことは無い。

体が資本

その他諸々の思考プロセスは割愛するが、結局のところ、パワーを持った演奏をするためには、よく食べ、よく動き、よく寝る、これに尽きるという結論に至った。

健全な肉体にしかパワーは宿らない。溌剌と生活しなければパワーは生まれない。一日二食でPCに向かい続ける陰鬱な生活を続けている私にとって、もしやこれは大変な困難なのではないか。

ちなみに最近の趣味は「読書」である。

そんな我々の演奏は、取り急ぎ、6月12日、新宿アンチノックにて執り行われる模様。某フリーランスを「パワーが足りない」と罵しり楽しめる可能性がある。

俺は何度だって立ち上がってやるぜワールドツアー〜SUMISONIC2016〜@新宿ANTINOK

ワールドツアーというだけのことはあり、この後も世界各地で演奏する機会があるらしいが、その全貌は秘密にしておく。

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