初詣で熊手を買うような一年でありたい

今年の初詣は、年が明けてすぐのタイミングで「神田明神」にお参りをした。

最近の神田明神は某アニメの聖地として有名らしいが、私はその界隈の動向とは関係なく「今年もフリーランスとして生きていけますように」といった願掛けをしてきた。商売繁盛のご利益を授かりにお参りをしたのだ。

フリーランス稼業を始めて気づけば3年ほど経過したが、食いはぐれることなく生きてこれたのは「運が良かったから」に尽きると思う。今年も運良く過ごすため、そして稼業に気合を入れ直すためにも、商売繁盛のご利益があると言われる神田明神は、私にとって初詣をすべき最適な場所なのだ。

近いし。

熊手の思い出

大体の場合、寺社仏閣にてお参りを済ませた後はおみくじを買い、それで仕舞いだ。しかし今回はそれに加えて「熊手」なる縁起物を購入した。1,000円の小振りな奴だ。

小さいころ、熊手はどうして縁起ものなのかと親に尋ねたことがある。その回答は「運やお金、お客さんなどをかき集めてこれるから。」というものだったと記憶している。

純粋な頃の私はそれを聞き「熊手とはずいぶんと欲深い縁起物だな」と思い、あまり良い印象を抱かなかった。落ち葉のように散らばった運やお金を熊手でかき集めたら、そこには何も残らない。他の人が困る。そんな想像をしていたのだ。

そういう経緯があり、縁起物として熊手を買おうと思ったことはこれまで一度も無かった。

熊手を買った理由

三つ子の魂百までとは言ったもので、私は当時から今に至るまでずっと欲が浅い人間を貫いてきた。モノもお金も、身の丈に合った量で充分だ。熊手なんてもっての外、不要だ。

普段ならそうやってスルーするところだが、どうも昨年末頃から「変化する実験」をしたいという欲求が湧いてきていた。普段のポリシーや習慣から外れたことを実施したら、どんな変化があるのか。良いことも悪いこともあると思うが、自分の「幅」を広げることにはなるだろう。

それに、少しは欲を出すべきなのだ。欲の出し過ぎは勿論良くないが、抑え過ぎにも問題がある。欲を抑圧し続けると何をしたいのかよく分からなくなり、最終的には「なんで生きてるんだっけ」という危険な状態に行きつく。私はどちらかというと後者の傾向が強い。

熊手を買うことで、自身の変化と解放をささやかに達成することが出来るのでは、そう思ったのだ。実際、この行為は自分に何らかの良い影響をもたらしている、と思う。

今年は熊手を買うような一年でありたい

今年はこのようなささやかな挑戦というか、実験というか、とにかく普段はやらないことを「ささやか」に実施していきたい。ささやかで充分。大きな変革は必要ない。

皆様に於いては、今年は私にしては珍しいところに居たり、珍しいことを実施しているのを目撃することもあるかと思うが「あぁ、実験してるな」くらいに流していただけると幸いである。

ちなみに

熊手を購入した行為との因果は不明だが、今年に入ってから何故か仕事の相談が多く舞い込んできており、商売繁盛のご利益があったのかもしれない。

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